幸福の定義
man reading book on beach near lake during daytime

毎週恒例となっている明日の行動経済学の授業の事前レポートですが、今週は「何が人の幸福度を上げるのか」というテーマでした。

人は他人にGiveすることで、自らの幸福度が上がることがあらゆる実験を通じて証明されている一方、行き過ぎたGiveはその人の時間やエネルギーを消費することになります。

Prereadでは、組織の中でマネジメントが積極的にGiveをしている部下をどう適正に評価すべきか、如何にGiveの文化を浸透させることが組織のパフォーマンスを向上することに寄与するのか、といった内容が中心でした。

事前レポートは、大まかなトピックは定められていますが、必ずしもそれに囚われる必要はありません。Prereadの中から自分の気になった点や、反論があればそれに対して自分の意見を書くことが可能です。

今回僕が書いた内容は、Prereadで触れられていた内容の延長になりますが、「西洋と東洋の文化の違いによる幸福の定義」です。

Preread(とある論文)に書かれていたのは、西洋の文化は個人の幸福を重視している一方、東洋の文化は、集団の調和や人間関係を重視する傾向があり、個人の幸福を究極の目標とは考えていない、といったような内容です。

西洋は個人主義で東洋は集団主義が尊重される、という話です。

東洋の文化では、よく言えばチームワークが重視されるということですが、「出る杭は打たれる」のと表裏一体です。

この「出る杭は打たれる」という表現が英語にあるのか調べたところ、少なくとも僕が調べた範囲ではありませんでした。

他の東洋の国は分かりませんが、日本特有の諺かも知れません。

以前書きましたが、MBA留学の1つの大事な役割としてSelf reflectionがあると思っています。

卒業後のキャリアを考える延長線上で、人生における幸福とは何か、人生で何を成し遂げたいのか、といったことについて考えることがあります。

授業のレポートという些細なきっかけですが、自分が日本/東洋の文化(集団主義)に囚われており、自分の幸福を他者との比較でしか定義できないのではないか、主観的な個人の幸福は見つけるにはこれまでの自分の価値観を大きく変えなければ見つけられないのではないか。

若しくは自分という人間を構成している文化的背景をそんな簡単に取っ払うことはできず、そもそも主観的な幸福を見つけようとすることが誤りであるのか(集団の中で見つけようとすることが近道なのか)、といったことを考えていました。

毎回事前レポートをもとに、授業の前にグループミーティングを実施しています。今日そのミーティングがありました。

レポートの内容をもとに、僕含めた4人のメンバー(残る3人はアメリカ人)でディスカッションをしたのですが、この文化の違いについては非常に興味を示していました。

それと同時にあまりよく理解できないという反応で、個人主義と集団主義の違いというのは、これまで生まれ育った環境が影響し、長い時間をかけて醸成されていくものであり、お互いに理解するのは難しいのかもしれません。

とりとめのない内容ですが、幸福とは何か、なんて日本にいる時にそれほど真剣に考えることはありませんでしたが、こうした機会を得られるのもMBAの役割かもしれません。

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